写真で歩く錦城山


『パンフレット 大聖寺城跡』を手元において写真を見ていただければ、より雰囲気が伝わると思います。


(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

正面の木々で鬱蒼としている山が錦城山。

この道をまっすぐ進むと、登り口のある駐車場の入り口。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

もうすぐ入り口。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

駐車場と登り口(生垣のところ)。12台ほど駐車可能。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

いよいよ、登城!!

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

登り口正面に、『大聖寺城案内図』が置いてあります。ご自由にお持ちください。また、アンケート用紙もありますので、お帰りの時ご記入頂けると幸いです。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

正面奥の白い看板が見えるところの左側が『贋金造りの洞穴』。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

『贋金造りの洞穴』

明治元年、明治新政府より越後戦争の弾薬供出を命ぜられた大聖寺藩は、この洞穴の中で贋金を製造した。銀製品を溶かし弐分金を造り山代温泉の湯に浸し通貨として広く通用し政府の命を果たした後に露見に及び、製造責任者市橋波江に切腹を命じた。然し子息には倍の禄を与えて功に報いた。この事件をパトロン事件という。(注:パトロンとは弾薬の意)』

(案内板より転記)

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

中は狭く、水が溜まっているため入ることはできない。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

正面の道は、『本丸』へ。左側に見える看板横の道は『東丸』へ。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

案内板の位置からみた、『東丸』へ向かう道。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

写真の左側に曲輪が重なって見えている。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

さらに進んでいくと、左側に『下馬屋敷跡』が見えてくる。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

左手に、東丸に続く旧道跡。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

曲輪がはっきり分かるようになってくる。この2番目の階段の途中に『本丸』方面と『鐘が丸』方面との分かれ道がある。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

分かれ道はもう目の前!

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

分かれ道から、今登ってきた階段道を見下ろす。写真左上の曲輪(次の写真)は、明るく開けていて眺望が良い。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

錦城山は、江戸時代お止め山として入山が厳しく禁止されていたため手入れがされず、今でも山全体に木々が生い茂り眺望のよい場所は少ない。

この曲輪も、2008(平成20)年までは竹が生い茂り、足を踏み入れることすら出来ないほどだった。それを、ひと夏かけて竹を伐採・整備した結果、今のように明るく開けた眺望(次の写真)もよい場所になった。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

眼下に『江沼神社』の杜や『錦城小学校』など大聖寺の街が望める。また遠くには白い『小松ドーム』、さらには白山山系の山々も見える。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

階段の途中から左上に向かってついている跡が元の道。

右上から回り込んでいる階段によって曲輪が分断されてしまった。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

正面の階段を登ったところに馬出曲輪があり、2つ前の画像を写した曲輪の一段上の場所。ここからの眺望(次の写真)もよい。この曲輪の対面所側(北側)の切岸に、石垣(次の次の画像)が一部見える。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

3つ前の画像とは、距離と角度が微妙に異なる。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

馬出曲輪の石垣の一部。苔や落葉などで分かりにくい。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

馬出曲輪から本丸下の曲輪につながる、坂土橋。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

正面の斜面の上が本丸。斜面に迫り出している建造物は、錦城山公園として整備した時の休憩所(四阿)。中央に見えるブルーシートは、発掘調査のもの。この遊歩道の左手(本丸の東下)(次の画像)と、右手奥(本丸の北下)(次の次の画像)に、曲輪がある。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

奥には土塁がある。この曲輪も、2010(平成22)年までは竹や木が生い茂り全く様子が分からないほどだった。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

2014(平成26)年から、曲輪や法面に繁茂している竹や笹の除去を行なっている。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

この階段を上るといよいよ本丸!!

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

本丸中程から振り返り、今上ってきた階段の方(東虎口跡)を見た様子。すぐ横にもみじの木があり、紅葉がきれい。2011(平成23)年11月から、この場所で発掘調査が行われた。

2011年度に発掘調査を行った東虎口・櫓台・北虎口について、翌年(2012年)6月3日発掘調査現地説明会が行われた。その後、埋め戻され一部はブルーシートで覆われている。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

左側には土塁があり、その奥の櫓台に続く。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

正面の高台が櫓台で、手前に山口玄蕃の石碑がある。石碑には、中西陽一石川県知事(当時)の揮毫で『山口玄蕃頭宗永公之碑』と書かれている。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

ようやく櫓台の上に到着。ここは、錦城山の山頂でもある。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

後ろから下り、遊歩道に戻った所から見た櫓台。端正な台形をしている。櫓台中央の縦に並んでいる白い土嚢は、発掘調査のもの。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

大小の石が見える。石垣の一部。1615年の一国一城令で破壊された?

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

北虎口手前から見た、本丸全体。向こうに、四阿(東虎口横)がみえる。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

2011(平成23)年度に発掘調査が行われ、現在は保存の為ブルーシートで覆われている。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

本丸から二の丸へ行く途中、左側にある。一年中枯れることがない。

(2016/1/9撮影)
(2016/1/9撮影)

馬洗池と、遊歩道を挟んで反対(右)側。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

本丸・二の丸・馬洗い池・対面所への各通路の交差点で、二の丸側から本丸側を見た様子。

右の石段が本丸への遊歩道で、その左横の道は本丸北下の曲輪への通路。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

同じ場所から見た、馬洗池。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

二の丸入口正面に、四阿がある。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

この曲輪は本丸より広く、何本もの大木が生えている。また、錦城山公園整備で設置されたアスレチック施設がある。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

二の丸を過ぎて階段を下る途中の左に、石が見える (写真中央辺り)。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

正面から見た様子。石垣のようにも見えるが、まだ調査されていないため不明。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

階段下あたりから、戸次丸と西の丸との分岐を見た様子。正面のブルーシートは、2013年度に実施された発掘調査地域保護の為のもの。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

最も北東に位置する曲輪。戸次丸(べっきまる)と読む。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

以前は竹や笹が生い茂っていたが、2016年から除去を始める。その結果、曲輪全体の様子がわかるようになり、北側の畑山などが見えるようになった。この曲輪の周りに、幾つもの腰曲輪を確認できる。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

分岐地点まで戻る。左の階段は二の丸へ続き、右手が今から進む三の丸方面。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

2013年度の発掘調査現場。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

上の写真の右手の様子。2014年3月21日に開催された『二の丸地区の発掘調査現地説明会』のときは、まだ倒れていなかった。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

三の丸(北の丸)は、まだ整備が進んでいない。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

左側奥は馬洗池、右側の緩い上り坂の向こうに西の丸がみえる。

西の丸手前 (2015/12/20撮影)
西の丸手前 (2015/12/20撮影)

短い坂道を上ると西の丸。西の丸入口手前まで行くと、左手に馬洗池が見える(次の写真)。

西の丸手前左側 (2016/1/9撮影)
西の丸手前左側 (2016/1/9撮影)

左手(東側)に馬洗い池が見える。池まで下りることができる(濡れていると滑りやすいため、注意が必要)。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

曲輪の西側に生えていた竹が除去され、明るく見晴らしが良くなった。

(2016/1/9撮影)
(2016/1/9撮影)

2011年に実施した会員の整備により、それまで荒れていた北側(通路の右側)も広く明るくなり、西の丸本来の規模がわかるようになった。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

西の丸の東側(カンバンの向こう)に虎口と鐘が丸に続く下り坂がある。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

西の丸から鐘が丸に続く、下り坂の狭い旧道。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

西の丸から鐘が丸に続く旧道の斜面に石垣(?)が見える。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

旧道を下から振り返る。左側の壁沿いに旧道が見える。正面を進と馬洗池。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

西の丸西側遊歩道を進むと、案内板(写真中央右側)が立てられている分岐に着く。案内板を右に曲がって坂道を進んでいくと、鐘が丸の西側入口へ。真直ぐ進むと、局谷へ。

(2018/12/30撮影)
(2018/12/30撮影)

局谷(つぼねだに)。本丸と鐘が丸との間にあり、自然の谷を人工的に堀割って作られた横堀の一部。名前の由来は、1600(慶長5)年、大聖寺城落城の際、局(つぼね)たちが本丸から身を投げて亡くなったからといわれ、局たちの霊がかんざしを挿した蛇となり現れるといわれた。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

北側の入り口から見た鐘が丸。大聖寺城で最も広い曲輪。右手が曲輪の西側で、土塁が築かれている。土塁のさらに右側は、骨ガ谷を挟んで、津葉城があった荻生山。写真奥に見えるものは、錦城山公園として整備されたときに設置された遊具。

(2016/1/9撮影)
(2016/1/9撮影)

土塁の端の少し広くなっているところが鐘が丸で最も高い場所、櫓台。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

鐘が丸の櫓台から見た様子。1600年、ここで前田軍と激しい攻防が繰り広げられた。

 

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

写真の左下から右上に向かって、曲輪から土塁に行くための道跡が、かすかに見える。その両側に、石垣が一部残っている。

 

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

上の写真の左側の石垣。

(2016/1/9撮影)
(2016/1/9撮影)

鐘が丸の中程から見た櫓台。

(2016/1/9撮影)
(2016/1/9撮影)

鐘が丸東側出入り口に続く曲輪。以前は笹が生い茂っていたが、2010年に整備。

(2016/1/9撮影)
(2016/1/9撮影)

鐘が丸東側出入り口北側の曲輪。ここも以前笹が生い茂っていたが、2010年に整備。

(2016/1/9撮影)
(2016/1/9撮影)

鐘が丸から東丸への途中、左側にある。写真中央の上に見える階段は、本丸への道。

(2016/1/9撮影)
(2016/1/9撮影)

番所屋敷跡の様子。写真右側上に、本丸の四阿が見える。

(2016/1/9撮影)
(2016/1/9撮影)

続いて、やはり左側に曲輪が見えてくる。

(2016/1/9撮影)
(2016/1/9撮影)

下馬屋敷跡から、見た遊歩道。中央に見える階段は、本丸への道。上の番所屋敷跡の写真に写っていた階段の下のあたり。その道の右側に、『く』の字型の道跡がある。これが本来の道で、階段は公園整備時に曲輪を分断して設置された。

(2016/1/9撮影)
(2016/1/9撮影)

下馬屋敷跡の先に、東丸が見える。

(2016/1/9撮影)
(2016/1/9撮影)

右側中央の明るい場所は曲輪の南東の角で、大聖寺の町並みや加賀三山(大日山・富士写ヶ岳・鞍掛山)など南加賀の山々が見える。また、遠くには白山も望める。大聖寺出身の登山作家、深田久弥の『日本百名山』発刊50周年を記念する石碑(次の写真)がある。

(2015/12/20撮影)
(2015/12/20撮影)

2014(平成26)年7月20日に、深田久弥の著書『日本百名山』発刊50周年を記念する式典がここ東丸でおこなわれた。式典には、来賓として深田久弥のお二人の御子息が出席された。

東丸からの眺望1(2015/12/7撮影)
東丸からの眺望1(2015/12/7撮影)

東側。石碑の向こうに白山が見える。その手前の特徴のある形の山は、鞍掛山。 

東丸からの眺望2 (2015/12/7撮影)
東丸からの眺望2 (2015/12/7撮影)

南東側。左に見えるなだらかな山は鈴が岳で、その右手の最も高い山が、大日山と加賀甲。

東丸からの眺望3 (2015/12/7撮影)
東丸からの眺望3 (2015/12/7撮影)

南側。奥に富士写ヶ岳が見える。

東丸3 (2015/12/20撮影)
東丸3 (2015/12/20撮影)

北側からみた東丸。 

東丸から分岐へ (2016/1/9撮影)
東丸から分岐へ (2016/1/9撮影)

東丸の北側から、下りの階段を行く。

分岐 (2016/1/9撮影)
分岐 (2016/1/9撮影)

分岐の右側に見えているのは、登山口への階段。

登り口と駐車場 (2016/1/9撮影)
登り口と駐車場 (2016/1/9撮影)

駐車場が見える。この階段を下りると、登り口。長時間、お疲れ様でした。