大聖寺城の歴史


1335年 建武2年  敷地・上木・山岸ら狩野氏の一党は名越太郎時兼の大軍に攻めら『大聖寺の城』に立て籠もったが、越前の国の武曽・深町・瓜生らの援軍を得て、名越軍を打ち破る。

1337年 建武4年  畑六郎左衛門尉時能は敷地伊豆守・山岸新左衛門光義・上木平九郎家光ら狩野氏の一党を味方に引き入れ、『大聖寺の城』に立て籠もる津葉五郎清文を攻め落とした。     (この『大聖寺の城』は荻生山にあった『津葉城』のこと)

1555年 弘治2年  朝倉宗滴が、『津葉城』に籠もる一向一揆勢を破り、占拠した。

1567年 永禄10年  足利義昭の調停により、朝倉方は『大聖寺城』に火をつけ破却。

1575年 天正3年  織田信長は、越前一向一揆を破り、『大正持』・『津葉』に城郭を構え、戸次右近広正に守らせる。

1580年 天正8年  柴田勝家が一向一揆を制圧し、『大聖寺城』に拝郷五左衛門家嘉を配する。

1583年 天正11年  賎ガ岳の合戦で、拝郷五左衛門家嘉戦死。柴田勝家を滅ぼした羽柴秀吉の武将丹羽五郎左衛門長秀は、その与力溝口金右衛門尉定勝を『大聖寺城』に配する。

1598年 慶長3年  小早川秀秋の家臣山口玄蕃頭宗永が『大聖寺城』に入る。

1600年 慶長5年  前田利長との合戦で、山口玄蕃頭宗永『大聖寺城』にて戦死。

1615年 元和元年   徳川幕府公布の一国一城令により『大聖寺城』は廃城。

1639年 寛永16年  加賀藩藩主前田利常は、三男利治に7万石を分封し加賀藩支藩として大聖寺藩を起こす。藩政時代、錦城山は『お止め山』として入山を厳しく禁止された。